Mount & Blade II: Bannerlord 歴史と考察 【M&B2】

本記事は、 Mount and Blade 2 : Bannerlord の世界観・世界の歴史をゲームプレイ中にわかった範囲を中心にまとめてみたものです。現段階では明らかにされていない、語られていない部分が多いので、各勢力の元ネタ国家などを参考に考察をつけています。

山川教科書みたいな文体を目指したい

 

目次

 

カルラディアの成立

 はるか昔、カルラディオス大王(Calradios The Great)に率いられたとある流浪の民族は、おそらく征服によって得られた土地に居住するようになり、彼の名にちなんでカルラドイ(Calradoi)を名乗り始めた(※1)。そののち、王政の下にあったカルラドイの国家において暴君が生じると、エケリオン(Echerion)(※2)がこの暴君を弑し、彼は「暴君殺しのエケリオン(Echerion the Tyrant-Slayer)」としてカルラドイの間に記憶されるとともに、カルラドイの間において「王」的存在は忌避されるようになった。その後はおそらく元老院、あるいはその前身的存在を中心として、いわゆる共和政が続いたと考えられる。こうした政治的な変遷に続いて、あるいは並行してカルラドイたちは周辺の諸地域を次々と征服、そして諸民族を統合し彼らを同化することで地域一帯の巨大勢力となっていった。

 

※1 カルラドイはおそらく自称による名称と思われるが、周辺民族にそう呼ばれたことに由来する可能性もある。

※2 北帝国のエンクリオン(Encrion)率いるクランはこのエケリオンの子孫である。それゆえ、かれらは狂信的なまでの寡頭政、貴族共和政支持で知られる。

 

カルラディア帝国

 一方で、こうした国家の巨大化により共和政は限界を露呈するようになっていったと考えられる。そこで、おそらくは征服戦争などにおいて強力な権限を一時的に付与されていた役職を原型として、後の「皇帝」につながる国家のリーダーが置かれるようになったのだろう。皇帝を元首とするカルラディア帝国はこうして誕生したとみられる。もちろんカルラドイには王政への忌避感情があるから、皇帝の権力は基本的には軍事面に制限されていたはずだし、元老院は内政面における強力な政治勢力としての地位を保持し続けていただろう。内政面における元老院と皇帝の力関係、その変遷についての詳細ははっきりしないが、アレニコス帝(Arenicos)の死に続く帝国内戦における3勢力の姿勢から見るに、元老院は内政面においては(極めて)強い力を保持していたと考えられる(※3)。

 帝国は、最大領土としては、帝国内戦開戦時の基準でいうと、帝国3派閥領に加えウランジアの大半とフーザイトの西部に相当する領域を支配していたとみられる。しかしながら特定の都市の名前が冠されているような帝国ではないから、どこが中心地であったのかは不明瞭である。首都の変遷についてもはっきりしない。アレニコス帝時代にはリカロン(Lycaron)が帝都であったから、ここがしばらく首都の座を占めていたと考えるのが妥当ではある。しかしながらウランジアが鉄腕のオスラク(Osrac Iron-arm)の下で独立する際、当時の帝都バラヴェノス(Baravenos:後のプラヴェンド(Pravend)か?)を奪ったというから、リカロンの時代も決して長くはない。皇帝は軍事的リーダーであるから、当時の軍事的課題や、あるいは彼の基盤に応じて遷都が行われてきたとみることが一応のところはできる。長い歴史の中で、内戦による帝位の争奪により帝都が移ったこともあったかもしれない。

 

※3 ラガエアが率いる南帝国が強い君主制の確立を志向しているのも、西帝国のガリオスは反対意見を黙らせるために彼の兵士を動員する必要に駆られているのも、もとはそうした強力な元老院の存在によるものとみられる。一方で北帝国はかつてのようにそうした元老院の力を皇帝の選出にも及ぼそうとしている。

 

帝国の周辺勢力とそれらへの対策

 カルラディア世界の西海岸から東のステップにわたる広大な領域を持ったカルラディア帝国は様々な周辺勢力と対峙することになった(※4)。東方にはフーザイトにつながる遊牧民が、南の大砂漠にはアセライにつながる勢力が、北西の高地を中心とした一帯にはバタニア系の諸部族が存在していた。これらに遅れて帝国の北では先住民族と、傭兵・商人として渡った流入民の融合からスタルジア構成国家の源流が形成された。帝国の内部では、ウランジア人たちが傭兵として移住し、おそらくは西部を中心に居住するようになった(※5)。

 帝国は基本的に、そうした周辺民族が統一的な勢力を形成しないように対策をとっていた。賄賂や暗殺、同盟による分断・懐柔により絶えず周辺民族を分裂させ続けることで帝国への圧力を和らげていたのである。この政策の遂行のため専門の外事局も設置されていた(※6)。必要があれば大規模に編成された帝国軍を派遣して対処したようだが、普段は国境沿いに配置された部隊が対処していたのかもしれない。

 

※4 ここで取り扱う以外にも様々な民族がカルラディア帝国と関わってきたかもしれない。たとえば帝国中央東部のガオス村の名前はかつてこの地域に侵入・支配した遊牧民の言語にちなむが、時代的な隔たりから、彼らはフーザイトとは異なる遊牧民である可能性がある。

※5 厳密な時系列は不明。適当でごめんなさい。

※6 The Surgeonのコンパニオンはこの局の黒い依頼を請け負っていたらしい。

 

周辺勢力の自立・国家形成の動き

 しかしながらそうした帝国の努力もむなしく、周辺勢力はそれぞれ自立・国家形成の動きを見せ始める。帝国の脅威に対抗するため、バタニア諸部族は上位の王(High King)を置いて一大勢力を形成し、スタルジアの諸王国は軍事的リーダーである大公(Grand Prince)の下にまとまるようになった。帝国が衰退し始めると、フーザイトはウルクハン(Urkhun)の下でカーン体制に統合され、帝国とは比較的ましな関係を持っていたであろうアセライの諸勢力もスルタンを中心に連合を組み、両者ともに帝国への侵攻を狙うようになった。さらに帝国西部では傭兵であったウランジア人たちがオスラクの下で独立した。この背景には、時代が進むとともに傭兵であった彼らへの代金支払いに困難が生じるようになった際、帝国が彼らに土地(徴税権)を与えることでそれの代わりとしていたという状況がある(※7)。これらの経緯から帝国の周囲には、貴族が強い権勢を持ちつつも対帝国の観点ではある程度国内的に統一された方針を持つ諸国家が形成された。

 

※7 根拠の薄い考察だが、このように独立したウランジアが帝都バラヴェノスの奪えたということは、そしてそのバラヴェノスがPravendであるならば、同地に遷都した皇帝はウランジア傭兵とかかわりの深い人物、ひょっとすると彼らの助けで内紛を収めたような人物だったのかもしれない。

 

帝国の凋落と内戦突入

 超大国としてのカルラディア帝国の存在が周辺勢力にとって脅威となり、結果的に彼らの統合を促したことはすでに述べた。さらに、これに加えて帝国自身も、ペンドレイクの戦いで全世界に明らかにされる以前からすでに衰退がはじまっていたと考えられる。衰退の要因はおそらくさまざまであり、一つの要素に帰することはできないだろう。ペンドレイクの戦いでネレゼス帝が敗死すると撤退を指揮したアレニコスが時期皇帝に指名された。

 アレニコス帝はかつての方針、またはネレゼス帝の方針と決別し様々な改革を実行した。諸改革により帝国の中央常備軍は縮小・解体され、元老院議員の貴族たちは領地を持ち、経営の権利と防衛の義務を負い、私兵を揃え皇帝の戦争に軍事的に奉仕する存在となった。おそらく以前から元老院議員たちは貴族層として大土地所有を行っていただろうし、キャリアの一環として軍事指揮を担う職にも就いていたであろうからこの改革は必ずしも異質なものではなかっただろう。これにより帝国は凋落の危機に抗することができたのは事実だが、一方で帝国はほとんど周辺の諸国家と変わらぬ国家構造を持つようになってしまったのも事実である。

 しかしながらアレニコス帝が暗殺されると、それまで彼が防ぎ留め、何とか統合していた帝国の分裂は決定的となる。カリスマ的な将軍であったガリオスは、ペンドレイク以後の危機で一層幅を利かせるようになっていたであろう軍・兵士たちの支持を得て西部に勢力を持ち、元老院の主導をかがける一派は名門出身で経験の深いルーコン議員を擁立し北部に勢力を築いた。そしてアレニコス帝の皇妃ラガエアは君主制の確立を望む諸勢力を統合して南部に勢力を立てた。こうして帝国は3分され、長きにわたる対立と戦乱が開始されることになった。

 

その後のカルラディア世界

 一応本作の前作にあたる無印のMount and Bladeで200年後が描かれています。気になる方はそちらの情報を。