ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」の誤解を解く

 ヘロドトスは、一般的に理解されている意味で「エジプトはナイルのたまもの」などとは言っていない。というと、驚くかもしれない。一般的には、エジプトはナイル川の引き起こす定期的な氾濫おかげで農業生産が豊かであり、これがエジプトの繁栄を支えたので、ヘロドトスはこのことを「エジプトはナイルのたまもの」を言い表したと理解されている。

 

しかしながらヘロドトスはそういう意味では言ってない。

 

この記事では、実際にはどのような意味で記された言葉であるのか、そしてその意味で解釈したうえで生じる疑問について述べても述べていきたい。

以下の引用の出典は基本的に下記の文献による。

ヘロドトス (松平千秋訳) 『ヘロドトス 歴史 (上)』 岩波書店 1971年

 

 

実際には何と言っているのか

 まず実際にはどういう意味で記された言葉であるのかを見てみよう。この言葉が出てくるのはヘロドトスの『歴史』の2巻の序盤である。 該当部分を読んでもらうのが一番である。読んでもらえばわかるが、繁栄がどうとかいう話は全く出てこないことが分かるだろう。太字の部分が、いわゆる「エジプトはナイルの賜物」である。訳注にもその旨が述べられている。

 

エジプト初代の人間王はミンであったという。この王の時代には、テバイ州を除いてはエジプト全土が一面の沼沢地で、現在モイリス湖の下方(北方)に当る地域一帯は、今日海からナイル河を遡航して七日間を要する距離にわたっているが、当時は全く水面下に沈んでいたという。

 エジプトの国土に関する彼らの話はもっともであると私にも思われた。というのは、いやしくも物の解る者ならば、たとえ予備知識を持たずとも一見すれば明らかなことであるが、今日ギリシア人が通航しているエジプトの地域は、いわば(ナイル)河の賜物ともいうべきもので、エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである。それのみならず、・・・(中略)・・・前述の地方と同様な例といってよい。(pp.188-189)

 

 続いて、「エジプトはナイルの賜物」のヘロドトスの意図した意味を考える前に、前後の文脈を追ってみよう。まず前提として、『歴史』におけるヘロドトスの主要な関心はペルシア戦争にある。彼はギリシア人であり、想定する読者もギリシア人であっただろうから、他国に関する記述では各国の地勢や文化、歴史の紹介がなされている。1巻ではペルシア戦争を戦うことになるアケメネス朝ペルシアの成立と拡大、つまりキュロス2世の時代が主題だ。1巻はキュロスの最期とその周りの記述で終わる。2巻は、3巻序盤のカンビュセス2世のエジプト遠征の記述の準備としてエジプトが紹介されているのである。そしてその2巻冒頭では、続くエジプトの文化風俗、歴史の紹介に先立って地理が説明されているのである。上の引用はその2巻冒頭部にある。その前後の話題も地勢に関するものである。実際にp.188からp.191辺りを読んでもらうとわかるが「国土」や「地勢」という語句が頻出する。これではっきりしたと思うが、本来「エジプトはナイルの賜物」とはエジプトの国土、地理に関する表現なのである。

 

 

ヘロドトスの真意

 では、ヘロドトスの意図した意味での「エジプトはナイルの賜物」について考えよう。「いやしくも物の解る者ならば、たとえ予備知識を持たずとも一見すれば明らかなことであるが(pp.188-189)」、ヘロドトスの意図を組んで言い換えるなら以下のような表現になるだろう。

 

ギリシア人にとって馴染みのあるナイルデルタ(三角州地帯)は、ナイル川の堆積作用によって新たに形成された土地であり、エジプトからすれば贈り物ともいえるものである。

 

要するに、地理・地学の話なのである。エジプトのあの繫栄している地域がどのように形成されたかという記述である。

 補足すると、我々現代人はエジプトといえば地図上のエジプト、つまりエジプト・アラブ共和国の国土全体をイメージしがちであるが、ここでのエジプトはほとんどナイルデルタ(ナイル川三角州地帯)のことである。外国人(ギリシア人たち)からすれば、商用にせよ旅行にせよ訪れるとしたら繁栄しているナイルデルタ地域ぐらいなものであるから、エジプトといえばほとんどこの地域、あるいは勢力としてのエジプトである、というわけだ。東京やトウキョウ、Tokyoといった際にはほとんど東京都23区の都心部のことを指すようなものである。初めて東京に来た外国人が真っ先に八王子に観光に行ったと聞いたらびっくりするだろうし、なぜ?と思うだろう。

 

(参考までにGoogle Mapのエジプトのあたりのリンクを張って貼っておきます。貼り方これであってるかな。)

goo.gl

 

 

現代での受容

 基本的に現代日本では、「エジプトはナイルの賜物」について、ほぼすべての記述で誤解の方の解釈が採用されている。その原因、起源を追跡するのは私の手に余ることだが、なぜその解釈が改まらないかは明らかだ。だって高校世界史でそう習っちゃうもん。しょうがないね。しかもその発言があってるかどうかを探るために高校生がわざわざ原典読まないですもんね。私もアケメネス朝ペルシアのことを読みたくて買った口なので読んでてびっくりしました。まあ、高校世界史、それも最序盤で出てくる知識ですから多くの方の記憶に残ってしまっているのでしょう。世界史は取らなかったなんて方もこの辺はやってたりしますし、生徒の学習意欲もまだ高い頃にやる内容でしょうし。

 気を取り直して、高校世界史周りの教材における記述を3点ほど見てみよう。私の手元にあるものはやや版が古い可能性があるので、最新版では記述が変更されている可能性がある点には注意してほしい。(「」内の「」は『』にせずそのままにしてます)

 

  • 山川出版の詳説世界史 改訂版
    「エジプトでは,「エジプトはナイルのたまもの」ということばどおり,ナイル川の増減水を利用して豊かな農業がおこなわれた。」(p.20、木村靖二 岸本美緒 小松久男 ほか 『詳説世界史 改訂版』 山川出版社 2016年)
    ページ下部の注でヘロドトスの書き記した言葉としている。

  • 山川出版の世界史用語集、「エジプトはナイルのたまもの」について
    古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが著した『歴史』のなかのことば。ナイル川の定期的氾濫が麦の生育サイクルと整合したため,農耕文明の繁栄が可能となった。」(p.7、全国歴史教育研究協議会 『世界史用語集』 山川出版社 2014年)

  • 山川出版の詳説世界史研究 改訂版
    「・・・ナイル川の氾濫で灌漑され,エジプトの農地は生産力がきわめて高かった。ナイル川はまた,流域の各地を結ぶ交通路としての役割も担った。ギリシアの歴史家ヘロドトスが「エジプトはナイルのたまもの」といったのも当然といえよう。」(p.21、木下康彦 木村靖二 吉田寅 『詳説世界史研究 改訂版』 山川出版社 2008年)

 

そんな話してないやんけ、そんな話してないやんけ。のちに述べる注意点を踏まえると、ヘロドトスの発言とせずに単に「エジプトはナイルのたまもの」というのならセーフの可能性はある。だが、何度も言うようにヘロドトスはそういう意味で言ってはいない。原典確認したりしないのか。それとも全く別の個所にそんな記述があって私が見落としているだけなのだろうか。ただ、岩波本の訳注には、ここがかの有名な発言の元ネタですって書いてあったし。わからん。ただ、『山川出版の詳説世界史研究 改訂版』の記述だけギリギリ原典を意識していそうな節のある記述なのは興味深い。

 他には英語での検索も実行してみた。キーワード「herodotus egypt nile」で検索すると「the gift of the nile」、「egypt is the gift of the nile」などのそれらしい言葉が出てくる。私の英語力はお察しなのでその記事の詳細な内容には踏み込めないが、ざっとみたところ日本同様の誤解がなされているようだ。ただその一方で日本ほど「エジプトはナイルのたまもの」はメジャーな言い回しではないような印象を受けた。

 

 

注意点

 先に、「ヘロドトスの発言とせずに単に「エジプトはナイルのたまもの」というのならセーフの可能性はある」と述べた。現在の状況からして、「エジプトはナイルのたまもの」という言葉は確かに「エジプトはナイル川の引き起こす定期的な氾濫おかげで農業生産が豊かであり、これがエジプトの繁栄を支えた」という意味で解されている。これは歴然とした事実だ。それゆえ、ヘロドトスの言葉とせず、単にそういう言い回しがあるという流れで使うのならば必ずしも間違ってはいない。ただやっぱりヘロドトスはそういう意味で言ってはいないのだが。

 それと、岩波文庫の訳注にもあるのだが、このフレーズ自体はヘロドトスが最初というわけではないらしい。「ヘロドトスの先輩であるヘカタイオスがすでにそのエジプト史に使用した句である」(p.478、ヘロドトス (松平千秋訳) 『ヘロドトス 歴史 (上)』 岩波書店 1971年)そうだ。ヘカタイオスがどのような意味でそのフレーズを用いたかはちょっと分からないので、ヘロドトスの発言としなければその解釈でセーフの可能性は否定できない(英語論文等に当らないといけなさそう。。。)。ただ何度でもいうがただやっぱりヘロドトスはその意味で言ってはいないのである。

 

 

おさらいと、最後に残る謎へ

 最後におさらいをしておこう。ざっとまとめるとこんなところであろうかところであろうか。

ヘロドトスは、彼の調査・収集したところの知識をもとに、ナイル川の堆積作用がナイルデルタ(三角州)を形成した事実を導き、その意味で「エジプト(ナイルデルタ)はナイルの賜物」と表現した。今日、一般的に理解されている、「ナイル川の定期的な氾濫がエジプトに豊かな農業生産をもたらしエジプトを繫栄させた」という意味での「エジプトはナイルの賜物」というフレーズをヘロドトスの記述・指摘として彼に帰することはできない。」

いつの日か、この誤解が解かれんことを願って本記事のメインパートを終わろう。

 

 

 

 最後に、ちょっと残る謎をシェアしておきたい。最初の部分でさらっと以下の部分を引用した。

エジプト初代の人間王はミンであったという。この王の時代には、テバイ州を除いてはエジプト全土が一面の沼沢地で、現在モイリス湖の下方(北方)に当る地域一帯は、今日海からナイル河を遡航して七日間を要する距離にわたっているが、当時は全く水面下に沈んでいたという。(p.188、ヘロドトス (松平千秋訳) 『ヘロドトス 歴史 (上)』 岩波書店 1971年)

加えてヘロドトスはナイルデルタはエジプト人にとって新しく獲得した土地であると指摘していたことも思い出してほしい。ここで疑問が浮かぶと思う。ナイルデルタの形成よりも前からエジプト人が、人がいたのかどうか、である。いくらナイル川の堆積作用が大きくともそれだけのデルタを形成するのには膨大な時間がかかるはずだ。確かに最終氷期による海岸線の移動を考えれば、うまい説明が見つかるかもしれない(私は地学に明るくないので難しいが)。この辺は情報を求めようにも最終氷期のエジプトの海岸線の情報は(努力不足で)見当たらなかったので保留としておきたい。

 そうなるとヘロドトスが収集した情報の、「当時は全く水面下に沈んでいた」という旨の情報はひょっとすると膨大な年月と多くの人々の見聞の語り継ぎであったりもするのだろうか、それとも誰かしらが編み出した神話に端を発するのだろうか。エジプト人などという意識もなかったころからの語り継ぎが積み重なってヘロドトスに伝わって、そして今日の我々がそれを読む。ほとんどおとぎ話のように見えるが、たいそうロマンがある。いきなり話のスケールが悠久なものになってしまったが、最後の余談もこれくらいにしておきたい。

 

参考文献まとめ

ヘロドトス (松平千秋訳) 『ヘロドトス 歴史 (上)』 岩波書店 1971年

・木村靖二 岸本美緒 小松久男 ほか 『詳説世界史 改訂版』 山川出版社 2016年

・全国歴史教育研究協議会 『世界史用語集』 山川出版社 2014年

・木下康彦 木村靖二 吉田寅 『詳説世界史研究 改訂版』 山川出版社 2008年